日々の呟き、妄想などの捌け口。
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漸く自身も落ち着いて来たので個人的な総括。
【03.11】 ・14時48分ごろ。午睡中の子ども達に声を掛けながら排泄を促している最中に地震に見舞われる。 ・午睡中の幸いで布団をそのまま被せる形で地震が落ち着くのを待つ。 ・0-1を手透きの保育士が背負う。やはりベテランがいると違う。サラシで巻く方法を知らなかったので急いで教えて貰いながら背負って誘導に回る。 ・ビルの5階から避難。2歳児は途中まで抱っこで先に下まで下ろす。 ・落ち着くまで近くの広場に待機。道すがらの人たちが気遣って声を掛けてくれる。 ・徐々に落ち着いたので戻ろうとすると再度大きな地震が。リターン。 ・このままだと避難所に行く可能性が高いので、保育士が食糧やおむつ等必要なものを取りに戻る。待機保育士は子どもの不安を取り除くよう配慮。 ・地震発生の時点で停電および水道ストップ。交通手段はタクシー以外遮断。大津波警報が発生。 ・2時間経過しても余震は続く。バスターミナルの近くが幸いして、暖を取ってとバスに移動して休息する。 ・徐々に迎えが来て受け渡し開始。遠方勤務の方は交通手段が遮断されて来られない。 ・ビル2階の信金に避難。この時点で17時後半。職員の携帯を取りに戻りながら、繋がるところは保護者に電話を掛ける。徐々に電話線復旧。 ・18時手前で初めて自分の家族の安否確認が取れる。姉も帰宅でき、更に彼氏と共に迎えに向かってくれるとのこと。 ・ビル1階のコンビニの厚意で食糧が供給される。空腹の子ども達と職員でひと息つく。 ・19時過ぎ。遠方と未だ社員ではないという理由で帰宅許可が下りるも交通手段がない為、共に行動して庶務を行う。 ・懐中電灯、ロウソク、保育士の携帯が頼りの灯り。 ・20時過ぎ。姉と彼氏の車が出発すると連絡が入る。道路封鎖の影響で何時に着くか判らないとのこと。 ・ビルから近くの避難所に移動になる。予備電力が働いている其方にバギーで移動。 ・移動が終わってから施設長の計らいで別行動を許可され、迎え待機。 ・食糧や水も貰えるが、貰うだけ貰って大事に仕舞い、迎えを待つ。恐らく極度の緊張状態で食欲が湧かなかった。 ・京都の友人から安否心配のメールが入り、励まされる。 ・蒼月にもメールすると電話が入り、互いに無事を確認する。そして彼女も交通手段が遮断されていた。 ・いつ迎えが来ても良いように出入り口付近にいるが寒い。毛布はないが自分の衣服で耐える。 ・22時過ぎ。姉の迎えが到着。携帯が繋がらず、姉が足を運んでくれた避難所で直ぐ遭遇出来る。 ・「死にそうな病人の顔をしていた」と後に云われるほど青褪めていたらしい。 ・車に乗って漸く深い溜息がつける。姉と彼氏に深く感謝。 ・必要なものを大型ストアで少し買う。 ・23時過ぎ。帰宅。自宅は不幸中の幸いで電気も水道も無事でした。 ・帰宅出来たことに感謝。お風呂に入って、食事も出来るだけする。 ・パソを開くとお客さんからの安否メールが来て、無事の意味でメールを出す。ミスしていたらすみません。疲労困憊と戦っていたんです; ・0時過ぎ。ハムスターの世話をして就寝。 【03.12】 ・6時に起きて食事を済ませ、職場に電話。夜中の3時に全員の子どもの引き渡しを終えたと報告を受け、保育士も全員無事とのこと。仕事は中止。 ・姉と私の自転車の回収に出る。回収しながら私は海と道路状況の確認。横須賀は現在安定。 ・コンビニの食パンのラス1をゲット。パンが欠品状態で殆どが品薄。 ・足止め喰らっていた叔父が帰宅。 ・姉妹で車で大型ストアに買い出しに出る。オール電化の為、ガスコンロを購入。水や食糧品、単1電池などを入手。ここぞとばかりの連係プレー。 ・スーパー激混み。野菜や肉が未だ揃っているのを見て、メニューを決めて買う。その間、姉は渋滞中の車を駐車場に入れる為車内に待機。 ・13時過ぎに漸く帰宅。荷物を整理して遅いお昼を食べる。 ・休んだ気がしなかった昨日なので仮眠を取って現在に至る。 一先ず、こんな感じです。海に面しているので神奈川も未だ交通経路が危ない感じですが今のところは倒壊はないです。電気も現在復旧しつつあるみたいです。 PR |