「目を閉じて、しっかり息を吐け」
スッと千鶴の視界は暗く閉ざされた。
頭上から降って来るは自分が最も安心する声。
優しく風間に抱き寄せられ、何度も背を擦られる。
鼻腔を擽るのは生活を共にする上で慣れた風間のトワレの香り。
「中々来ないと思ったら、コイツに捕まっていたのか……」
「何だ、お迎え?妬けるね」
「今は一刻も早く散れ。貴様、あとで覚えていろ」
「――――へぇ。君でもそんな顔するんだ」
鋭い眼光で射抜いているのに、沖田はそれを容易く交わす。
飄々とした態度のまま肩を竦めて流してしまう。
風間の腕の中で小さく震える千鶴を見つめ、面白いものを見たと云わんばかりに口角を上げる。
「恐がらせてゴメンね、千鶴ちゃん。またね?」
「っ、貴様…!」
ヒラヒラと手を振りながら沖田は背を向けた。
風間はその勝手さに声を荒げようとしたが、自分に必死に縋りつく千鶴に憤る理性を抑える。
彼が去った廊下は診察時間が過ぎて二人だけが残された。
ただ風間は静かに彼女を促し、自分の仕事部屋へと歩を進める。
その間も千鶴は声を殺すように嗚咽を洩らす。
「もう大丈夫だ」
「っく……ぁ、…ぅ、う」
部屋に戻って千鶴をベッドに腰かけさせても彼女は俯いたまま。
風間はそっと彼女の前に跪き、ゆっくりと頬を濡らす涙を指の腹で拭った。
その優しげな動作に千鶴は漸く顔を上げる。
震える手を叱咤して風間の手の体温を確かめるように握り締める。
安心する、確かな温もりを、震える心を鎮めようと、必死に。
「――…千鶴」
躊躇いがちに、そっと彼女の名を呼ぶ。
途端に千鶴は新しい雫を円らな瞳から溢れ出してしまう。
不味いことをしいただろうか、と風間は思案するが握られる彼女の手の力は強くなるばかり。
ただ、ただ、安息を求めるように千鶴は彼の手を自身の頬に付けて涙を流す。
そんな彼女を包み込むように風間は抱き締める。
「もう心配するな」
「ひっく…、風間、せんせ……」
「アイツに何を云われたか聞きはしない。お前が望まないのならばな」
その言葉だけで千鶴の胸はいっぱいになる。
静かにコクリと頷いて、今はただ抱きしめて欲しかった。
今は理由なんて考えたくなかった。
一瞬の優しさでも、気まぐれでも良い。
この腕(かいな)に抱(いだ)かれて心を落ち着かせたいのだ。
「大丈夫だ」
一定のリズムで背を叩かれ、紡がれる言葉。
まるで子どもをあやすかのようなそれも、風間だから心地良い。
そして何時しか千鶴から洩れるのは嗚咽ではなく静かな寝息へと変わっていった。
「お前には笑っている顔がよく似合う……」
涙の所為で顔に張り付いた前髪を除けつつ、千鶴をベッドに寝かせた風間はぽつりと呟く。
目尻に溜まった涙を拭い、今は深い眠りにつく彼女の額へ触れるだけの口付けを施す。
見つめる風間のその瞳は慈愛に溢れていた。
しかし、それを少女が知る日は未だ先のこと。
風間はまだ当分は自身の気持ちを心に仕舞って接しようとしていた。
互いの想いが交錯する不器用な関係……――。
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